それは 出生にさかのぼります。
S37のクリスマス 翌年の2月に生まれる予定だった私は早産
未熟児1800グラムで生まれました。
当時、医療体制は昨今のように整っておらず、なんとか保育器
のある病院だったので1ヶ月で退院できたのですが、母は心配だ
ったそうです。
生まれたあとはこれといった病気もせず4才まではなにもありま
せんでした。
5才のある日、私はそれまで顔すら知らない隣にすむひとつ年上
のお姉さん(名前はしらない)となぜか遊ぶことになり、そのお姉さん
の通う小学校にいくことにしました。
途中信号のある歩道を渡るために待っていたら、なぜか
お姉さんは赤信号にもかかわらず
「わたろう」
といったのです。
その時一緒にいた兄は危ないと思い渡らなかったそうですが、私は
そのまま道路にでてしまいました。
「ギギギギギギーーー!!!」
すごい停車音とともに市電が目の前で止まりました。
私のすむ町は市内いちえん京都、長崎のように電車が走っている
のですがその道も通っていました。
本当なら、その時私はそのまま電車にはねられていたでしょう。
でも、その時確かに誰かが私のえりを引っぱって止めてくれました。
いったい誰が・・・?そのお姉さん・・・?
あとで兄に聞いたのですが、そのお姉さんは踵を反して自宅へ
帰ってしまったそうです。
その様子をみていた近所のひとたちは私はてっきり轢かれたと思い
母に 「まりちゃんが 電車に轢かれた!」 といいにきたそうです。
その時は、生きたここちがしなかったと今でも母は話すのですが
やはり話題にのぼるのはなぜ私が無傷で生還したかなのです。
私のえりをひっぱった人はだれ?その道は事故が多発するところ
だったのに・・・。
0~5才の間に2回死に直面したせいか それとも私のうしろにい
るひと?のせいか 今までいくどとなく別世界のさかいを垣間見る
ことになってしまいました。
よく子供をつくるようなことをすると、霊感がなくなるなどといいますが
あれは嘘でしょう。いまや一児の母ですが、昔より出力全開ってかんじです。
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